CEOよりご挨拶

初めまして。水野聡子 みずのさとこ と申します。

この本人紹介ページを訪問頂いたということは、製品もさることながら「どこのどんな誰が取り扱っているのか」も大きな関心事項かと思います。下記に簡単ながら私自身のことを紹介させていただきます。

弊社概略

2015年にInfinity Wings BP Thailand Co., Ltd. を創業しました。

オフィス所在地:スクンビットソイ71、一般にはプラカノン通りと呼ばれる大きな通りを2kmほど北上、ソイ26に入り500mほど進んだ一軒家に所在しております。

住所詳細や納税番号などは Company Profile をご覧ください。

事業内容:ビジネスアテンド、市場調査、メディア対応業務などを中心に活動していました。2020年のコロナ禍で事業内容を大幅に刷新いたしました。

岐阜県多治見市出身

1971年昭和46年生まれ。岐阜県東南部、愛知県との県境にある多治見市出身です。

地場産業は織部焼、外壁用タイル、茶碗などの窯業で私の実家もタイル製造工場でした。最近では焼き物よりも夏の最暑期には気温40度を超え「日本一暑い街」として名前が知られています。

高校卒業まで多治見に住んでいました。高校は日本三大修道院・神言修道会多治見修道院と国宝・永保寺が所在する虎渓山のふもとにある多治見北高校に通っていました。

写真は一般社団法人多治見市観光協会HPより拝借しました。

京都外国語大学へ

1980年代に英会話教室のCM文言である「2つの言葉が話せれば2倍の人と話せる」という言葉に感銘受け、京都外国語大学へ進学。

在学中に「旅行会社の添乗員になる」と決め、学生時代は外国語よりも旅行業関連の資格(今では名称が変わりましたが、一般旅行業務取扱主任者、観光業旅行英検1級ほかいくつか)を取得。

1995年に卒業しましたが、この年は1月17日に阪神大震災、卒業式当日の3月20日は地下鉄サリン事件、と社会的に大きな事件がつづきました。

写真は京都外国語大学インスタグラムより拝借しました

JTBの海外旅行添乗員へ

世の中はバブル崩壊後の超不況、関西は阪神大震災、といわゆる就職氷河期の時代でしたが、無事関西ベースのJTB海外旅行添乗員として働き出しました。

添乗員の仕事は一見団体観光旅行について回る遊びの延長の様な仕事に見えますが、実際は事前の下調べほか勉強がかなりあります。訪問地に関する基礎的な知識はもちろん、訪問時期によって渡航前に周知しておくべき情報、旅行中の健康や体調管理に各自準備しておくもの、など多岐にわたります。

私はこの事前の勉強が大好きでした。特に地形/地質また天候が人間や生活に与える影響と言うものにそれぞれの地域で独特な点がありつつ、しかし意外と多箇所で共通する点が多い、という事に面白さを感じていました。

それらは着衣や建築また飲食習慣といった人間の外側のものを形成し、考え方や体型といった人間そのものを構築し、産業や経済そして国体にまで影響していました。

添乗員として40か国ほど渡航し、7年で2000冊ほどの本を読みました。ほぼ毎日1冊ペースですね。次の仕事に関する本を読んで書き出すところに線を引く、日本で待機中にそれらをレポート用紙にまとめて案内に使っていました。

その際に他の国で勉強したことを新しく知ったことと紐づけ、今回はA国でこういう現象が見られますが、B国では同じ状況でも違う現象になる。それは何々の違いで、、と本の受け売りではなく独自理解をし広がりのある案内をすることが出来ました。

それはC国に行って思いもよらず急にA国やB国で知った現象が起きても「ここは〇〇の違いでこの方式を取っており、それによって△△に違いが出ると予想でき、、」とその場しのぎ以上の対応をすることが出来ました。

毎回学ぶことが必ずあり多くの国を訪問して好奇心を満たせる添乗員と言う仕事、多くの人に「あなたの天職ですね」と言われ、自分自身も天職だと感じていました。

写真はヨーロッパでガイドさんがいない地域を添乗員だけで案内をする、というコースの研修旅行の様子です。今はどこの観光地もガイドさん組合に縛られ添乗員だけで案内業務は出来ないですが、20世紀はおおらかな時代でした。

この時に一緒に研修を受けたメンバーとはその後もお互いに切磋琢磨で自分の仕事の研鑽をし、私は添乗員を辞めて20年以上経っていますがいまだに良い関係が続いています。

休暇を兼ねて外国語学習へ

添乗員は好きな時に好きなだけ休みが取れる仕事でしたので、従業期間中に数回数か月間の休みを取り、語学勉強がてら現地ステイを楽しむ、という休暇を取っていました。

最も印象に残っているのはスペイン・グラナダです。写真はアルハンブラ宮殿、朝昼晩/春夏秋冬で表情の変わるこの風景が大好きで、毎日この展望台を通って学校に行くために敢えて市街から離れた家にホームステイしていました。

スペイン語以外にも勉強に行き、気が付けば人生でヨーロッパ言語3つ、アジア言語3つを勉強しました。大学時代は外国語よりも旅行業の勉強に集中していましたが、働き出してからのほうが外国語の学習は熱が入ったようです。

写真はwikiより拝借しました

バンコクへ

天職だと思っていた添乗員の仕事ですが、年齢を重ねるに連れて体力的に厳しくなって来ました。また、毎日レストランやホテルのレビューを報告書に書いていましたが「これは今後人生にどうやって役立っていくのか」という不安がありました。

その葛藤の中、2001年09月11日にニューヨークで911同時多発テロ発生。半年先まで埋まっていた仕事の予定も一旦白紙に。

仕事も住む場所も変える時が来た。大きな決断でしたが変化を選びました。

それまでに行ったことのあるところで、現地に観光業以外の仕事がある場所、日常生活に不便のない場所、などの条件を詰めていきタイ・バンコクへ行くことを決めました。

写真はwikiより拝借しました

タイ川鉄商事へ

バンコクへ到着ししばらくは「毎日同じ部屋で寝れる安心感」「時間に追われる生活からの解放」など味わいつつタイ語を勉強。

その後ご縁があって鉄鋼取扱専門商社・タイ川鉄商事(現タイJFE商事)の営業部に採用され、全く未経験の状態からOL生活が始まりました。

当初は納品管理を担当していましたが、最低限の金銭管理知識がなく仕事に支障が出るようになり「これは勉強すべき」と一念発起して本だけを頼りに完全自宅学習で日商簿記三・二級の勉強を開始しました。

写真は日刊工業新聞さんより拝借しました

経理会計部へ

基礎も経験もない状態でしたが、勉強し出すと知らなかったことをわかっていくことが面白く、1年毎日勉強して二級に合格。

この合格を以って入社3年目に経理会計部門に異動。会社は同じでしたが転職したと言ってもいいぐらいの仕事上での大きな変化でした。

当初は営業会計という、営業部の誰の仕事がどれほど利益をもたらしているかを数値で出す、という小さい範囲での担当でした。この後担当領域は広がり、最後は人事の一次面接や総務のコンピューターサーバー導入といった仕事もしていました。

メディア業へ

商社での仕事は専門職のOLさんとは違った多角的な仕事、上司だった駐在員さんが会計専門で指導好きだったこともあって毎日何かしら教えてくれて何かしら学びがある職場でとても楽しかったのですが、いつも思っていたことは

「楽しいし学びは多いけど私の仕事ではない」

でした。もっと毎日違うことをしたい、もっと自分のクリエイティビティを表現したい、と望むようになりました。

ある時バンコクで日本人駐在員の妻に向けて発行されているバンコクマダムというフリーペーパーのボランティアに応募、ご縁があってその後も簡単な手伝いをしていましたが

「これは楽しい。これは私の仕事だ」

と思っていました。暫くしたら「新しい人を探している」というので、出版業は全くの未経験でしたが「私が行きます」と手をあげ、大企業のOL生活に別れを告げました。

画像はバンコクマダムより拝借しました。思い出深いパタヤ・シーラチャ特集

もう一つの天職へ

社内人事の都合で未経験ながら編集長となりました。制作面では何かしら楽しく新しいことを創り出し、運営面では収益や部下の管理実務を担うという、クリエティビティーとマネージメント双方を前進させていきました。

クリエティビティー面で役に立ったのが添乗員時代の下調べやレストランとホテルのレビューを書いた経験でした。

当時は「こんなことを毎日していて何のためになるのか」と思いあぐねていましたが、こんなところで役に立つとは思ってもみませんでした。人生に無駄は何一つない、という言葉が身に沁みました。

レストランに行けばPR担当者より食材や食べ方に詳しいためグルメコラムを書く上で信頼をいただき、料理の背景や歴史を語り見るべき点味わうべき点を書いて反応の大きい記事にしました。

人前で意見発言は場数を踏んできただけにひるむことなく一丁前にあれこれ言うのでタイ発の有名ブランドを始め多くのPRさんから「〇〇について相談があるので来てほしい」と指名でお呼びもかかるようになりました。

旅行を取り扱う際は家族連れであることを前提とした健全で無理無駄のないスケジュール組立、健康と安全最優先でアクティビティーを取捨選択して作る紙面、元添乗員がお勧めする旅行の際に持って行くと便利なものグッズを披露、など添乗員時代の積み重ねがここでも大きく役立ちました。

技術面では全くの未経験でしたが一眼レフカメラでの撮影やクリエイティブ系ソフトウエアの取扱など、本来は編集長の仕事ではないことですが自分にとって新しい事でしたのでこれらも学び研鑽していきました。

運営管理面では最盛期には史上最高の72ページとなり、入社前比売上5倍経常利益2倍にまで成長。営業面だけではなく管理業務としてはOL時代の経理会計部門経験、人事業務から学んだ人材管理、総務業務で見知った社内ルール設置などあちこちで経験が生かされました。

OL当時はとにかくいろんな仕事を回されて忙しい何でも屋さんかと思っていましたが、やはりここでも人生に無駄は何一つない、ということを実感しました。

紙面が文字通り目に見えて成長し「バンコクマダム、ずしっと重く厚くなりましたね」と多くの方にお声掛けいただき自分の仕事の成果を体感することが出来ました。

 

添乗員と同列で「天職だ」と思っていたメディアの仕事でしたが、社内事情等により退職となりました。

この時期はまるで前は崖のふちでつま先立ち、後ろは振り返ることが出来ないほどに壁が迫っている、地に足がついていない不安定感など「これからどうなるのか」という気持ちでいっぱいでした。

起業へ

ご縁とご厚意に恵まれ、法人を持ち活動を開始しました。

ビジネスアテンドや市場調査をメインとし、メディアへの寄稿などをサブ業務としていました。アテンドは添乗員業務そのものですし、市場調査には計算や数値調査がつきものですが、これはタイJFE商事時代に会計部に従事していた事が思ったよりも大きく役立ちました。

当時は「自分の仕事ではないな」と思っていましたが、ここでも人生に無駄は何一つない、と言う言葉が身に沁みました。

創業事業であった市場調査の仕事は
未知の業界
業界は知っているけども触れて事のない分野
など、常に新しいことを学んで知ることが楽しく興味深く仕事をすることが出来ました。

一方で「もっと外にうって出る活動をしたい」と望むようにもなりました。

BtoCネットビジネスへ

40代半ばになったある時、「インターネットを使ったビジネスを立ち上がる」というセミナーに参加しました。それまでは閲覧者としてネット情報に触れていましたが、自ら発信することはなく「インターネットを使ったビジネスとは何か」を知りたいという思いでした。

そこで導かれたのがBtoCでヨーロッパ・スイスから輸入する制汗剤、というご縁でした。

資料をもらって製品そのものの勉強、この製品を取り扱う上でのメリット/デメリットを検討しました。

当初から大規模投資はしないで立ち上げる事は可能か、
限られた人や場所で行えるか、
他の製品と比べた時にどのようなメリットがあるのか、
などです。

重量体積から判断する経費負担、
ハイパフォーマンスであり差別化訴求、
公に口外しないが高い関心を呼べる、
保管手段や保持期間、
実店舗販売とは違った活動手段、
などをメリットとして取り扱いを開始しました。

この検討事項とメリットリストアップについては、市場調査業務で積み上げた「ビジネスとしてどう判断するか」の視点が役に立ちました。

ネットビジネス初心者につき、当初はすべてが四苦八苦の七転八倒。サイトはあれでもないこれでもないと何度も作り直し、ネット広告の出し方も書籍やネット上の情報を頼りに設定しては「この広告はエラーです/却下です」と言われどこがどうダメなのか、と唸りながら探しながら設定の繰り返しでした。

BtoCにつき広告活動が必須ですが、写真撮影やソフトウエアの取扱をメディア業内で触れていたため簡単なものは自分で作業。現状の問題がどのように解決できるのかを広告で訴求することにメディアの経験と市場調査の積み上げが役に立っています。

ネットですので国を限らず広い範囲で露出となります。お陰様でタイおよび世界中から多くの接触をいただいています。ここではすっかり錆びついていた過去に勉強してきた語学が役に立っています。コンプレックス商品は人や国を問わず質問は同じなので、学習当時毎日楽しく勉強したおかげで築けていた基礎がよみがえり、その範疇で対応できています。

人生の後半に入ると今までの人生で行ってきたことが集大成のように押し寄せて来る、と言いますがその言葉をこのビジネスから実感します。

BtoCのサイトはこちらから

 

ハイパフォーマンス業務用製品取扱へ

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40代後半にご縁あってヨーロッパ・ベルギー産ハイパフォーマンス洗浄剤・エコノミックプロおよび強力な脱臭殺菌作用をもたらすオゾン生成機と出会いました。

BtoCではヨーロッパ産の個人的なにおいや清潔感に関する物販ビジネスをしているため、類似キーワードでご縁があるなあ、と思いました。工業用品の取扱いは2年ほど前から求めていたことであり、「私が取り扱います」と立候補しました。

立候補した時点では特に菌に対する豊かな知識があったわけではありませんが、求めていたものが目の前に現れたこれはチャンスであると理解してすぐ手を挙げました。知識に関しては過去に何度も「経験のない仕事も興味があればやってみる」を信条としてきたため、専門家に雑談交えながらいろいろ指導してもらいました。

ハイパフォーマンス洗浄剤とオゾン生成機双方の製品が面白いなと思った点は「殺菌では衛生保全は出来ない」という事実です。世の中では殺菌が最も衛生的になる手段だととらえられていますが、菌の専門家に教えていただいて印象的だったことは

「その場だけ、たとえばこの作業台の表面だけ殺菌しても、殺菌していないところから菌が入り込み数分後には元通りになる。このむなしい作業を続けるのはよくない」

「古い建物というだけで菌はごまんと存在する。その菌が活動出来ないようにすることが大切」

「菌は膜と核で構成されていて、化学的な殺菌ではこの膜を破壊することが出来ず、その場にいる菌を除去するだけになる。膜を破壊し核を溶かして死滅させて初めて本当の意味で殺菌できる」

「菌というのは一定の面積で存在できる数がある程度決まっており、すべての菌を有益菌にすれば有害菌は存在できなくなる」

「有益菌で空間全体を調整することで衛生保全が可能となる」

という点です。

菌管理で課題がある皆様はよくご存じのことだと思いますが、私には50歳を過ぎてもなお人生何度目の”全く経験がない事”が新しくあたえられた、全く未経験でも学んで積み重ねで研鑽していく事が目の前に現れた、という気持ちで取り組んでいます。

オゾン水/オゾンエアーで有害菌を死滅させ、クライサル社で有害菌が生きていけない環境を作り出す。特別な装備不要、今までと同じ程度のランニングコスト、通常の清掃作業をするだけ。

目に見えないために指導説明が難しく、悩みのたねである菌/衛生/脱臭/ヌメリ等の管理が激減します。

弊社が取り扱っている全く新しいコンセプトの製品

有害菌が生きていけない環境を作り出すクライサル社製品の詳細はこちらから

有害菌を死滅させるオゾン水/オゾンエアー生成機の詳細はこちらから

衛生管理精度が飛躍的に向上するRe-Bornプログラム詳細はこちらから

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